日比谷線南千住駅(泪橋交差点)

泪橋交差点

明治通りを、さらに、西へと歩いていく。
程なくして、南北に伸びる、吉野通りとの交差点。泪橋交差点だ。
昔は、明治通りに沿って、思川という、小川が、流れていたのだが、ここらへんに、泪橋が架かっていたのだろう。
その橋の北側には、小塚原の刑場があり、そのために、橋の名前が、泪の橋、だったのかな。
だが、泪橋、というと、自分が、まず、思い浮かべるのは、「あしたのジョー」。
主人公、矢吹丈が練習した、丹下段平のボクシングジムは、泪橋の下に、あるのだ。
むろん、あしたのジョーの中の泪橋は、創作なのだが、橋の名前は、泪橋交差点から、とられているに違いない。
ところで、なんで、ボクシングジムの上に架かっている橋は、泪橋なんだろうか。
たぶん、こういうことだろうと思う。
すなわち、世の中の、どうしようもない、悲しさ、辛さ、それらを、「泪」、と暗喩し、そこを、ボクシングで越えていく、ということだ。
でも、ボクシングでなくとも、他に、その、世の中の悲しさを、越える、手段は、ありそうな気もする。
現に、矢吹丈は、ボクシングを始める前、壮大な、解決案を持っていた。
隅田川の両岸には、遊園地。貧困地帯の、西側と東側には、それぞれ、大規模な病院と、老人ホーム。南側に、保育園。北側に、大規模な集合住宅と、巨大ショッピングセンター。そして、それらの、中央部、貧困地帯には、大きな工場。
矢吹丈の年齢から見て、ちょっと、あり得ない、発想のような気もするけど。
それはそれとして、この解決案、現代、特に、バブルが崩壊して以降の、日本の姿そのものではないだろうか。
ただ、「あしたのジョー」の中では、この、壮大な計画、資本を調達するための、詐欺行為で、あえなく頓挫、結果は、矢吹丈の少年院送致で、終わっている。
利益の見込めない投資など、詐欺でも行わなければ、成立しようがないからだが。
だから、むしろ、ボクシングとの出会いが、矢吹丈にとって、とても、幸運なことだったのだろう。
もし、ボクシングすらなければ、矢吹丈に、夢を託すしかないな。確率的には、そうなる方が、はるかに、高いけど。
もっとも、当初の矢吹丈の計画は、現代では、当たり前のように、実現している。
それで、結局、どうなったのだろう。
貧困はなくならないどころか、より一層、拡大している。そして、貧民は、一掃されて、どっかへ、いなくなってしまった。
かくて、世の中の、どうしようもない、悲しさ、辛さは、その底辺に、遍く、偏在することになるのだ。
これも、時代の流れなので、どうしようもないけど。
(2009年9月記)