京浜急行京急川崎駅(京急川崎駅駅舎)

京急川崎駅駅舎

多摩川沿いの女体神社がある地域に、用水を引き、開拓を指揮したのは、小泉次大夫だったわけだが、故地は、今の富士宮市
そこには、有名な、富士山を御神体とする、浅間大社がある。
祭神は、女神、ということだ。富士山に限らず、山は、たいてい、女神なのだが。
そういうことが、関係するのか、用水の一部が、女堀と、呼ばれていたり、工事をするときは、作業チームに、必ず、女性を、参加させていたらしい。
女性を参加させるというのは、作業者を鼓舞させる面もあるが、なにか、儀式めいた感じを受ける。
つまり、この、用水路の工事に関しては、女性を、特別視、あるいは、神聖視する、なにかがあったように思うのだ。
といっても、それなら、浅間神社でもよかったはず。なぜ、女体神社か、結局、わからないけど。
やはり、埼玉県の女体神社と、関係があるのかな。
例えば、以下のように考えられないだろうか。
関東平野の開拓は、北側から、鎌倉時代に、徐々に、進められていたとすれば、埼玉県の方が、早かったわけだ。
だから、関東平野の開拓事業に関して、新しい技術という点では、見劣りするかもしれないが、経験値は、高かったに違いない。
ということは、多摩川流域の、開拓にも、加わってのかもしれない。
そして、彼らが、女体神社を、連れてきたのかも。
もっとも、開拓事業において、女性を、神聖視する、という風習は、静岡県なのか、埼玉県なのか、あるいは、一般的なのか、よくわからないが。
ただ、このように、何もないところに、生活の基盤をつくり、以降、暮らしを、永続させる、ということは、単に、技術的なことだけではなく、文化的、精神的なことも、必要なのだろう。
そのことを、目の前の、女体神社は、思い起こさせてくれる。
などと、考えていると、若夫婦が、何組か、お参りに来ていたりする。子宝、あるいは、安産の、効能でもあるのかな。邪魔にならないように、早々に、引き上げた方が、よさそうだ。
そういえば、新しく生まれ変わった、川崎駅周辺、開拓地と同じように、これから、暮らしが、ずっと、続いていくんだろうなあ。何十年も経ったら、どうなっているんだろうか。
通りを、東に歩き、突き当たったところで、南東へ曲がり、そのまま、南東へと進む。
JRの線路を潜ると、その先には、京浜急行の高架。
京急川崎駅がある。
JRの川崎駅は、すっかり、変わってしまったが、こちらは、まだ、昔の往時を、忍ばせている。
(2009年9月記)