京浜急行六郷土手駅(旧六郷橋の遺構)

旧六郷橋の遺構

通りを、東へ。六郷土手駅に戻るのだが、もう少し、他に、寄ってみることにする。
ということで、駅を通り過ぎ、南へ。路地のような小道に入っていく。
すぐに、目の前には、第一京浜の、小規模なインターチェンジ
道路が、弧を描き、円になっているのだが、その真ん中が、緑地になっている。
ちょっと、不思議な空間だが、宮本台緑地という公園だ。
その緑地には、オブジェのような、旧六郷橋の遺構の一部。
昔は、この場所から、橋が伸びていた、というわけではなく、移設されたようだ。
ただ、この橋の遺構のおかげで、風景の不思議さは、なお、一層、増しているように見えるけど。
ちなみに、旧六郷橋は、大正時代に、完成し、バブル期の直前ぐらいまで、使われていたのだ。
それ以前は、どうしていたのかというと、明治時代になり、いちおう、橋は、架かったものの、洪水のたびに、幾度も、流失していたらしい。
京浜急行東海道線などの、鉄道橋も、流失こそ、免れているが、何度か、架け替えられていて、多摩川の、洪水には、手を焼いていたようだ。
では、江戸時代は、どうだったのだろう。
もっぱら、六郷の渡し、渡船を利用していた。
それでも、江戸時代の初めには、橋が架かったのだ。
明治時代もそうだったが、時代の変わり目には、橋が、架かるものなのかな。
でも、何度も、洪水で、流失し、結局、架橋は、断念。渡船、ということになった。
さらに、それ以前は、どうなのだろう。
街道は、もっと、上流、矢口渡し、あるいは、今の武蔵小杉、丸子渡し、となる。
ただ、多摩川の北岸には、すでに、六郷神社、南岸には、川崎大師があり、街道はなくとも、往来は、あったのだろう。
こうして見ると、この、オブジェのような、旧六郷橋の遺構、長い歴史の物語の、一部分でもあるな、と思えてしまう。
つまり、旧六郷橋は、多摩川の両岸を繋いでいたわけだが、今は、オブジェとなり、過去と、現在を、繋いでいるような気がするのだ。
(2009年9月記)