京浜急行六郷土手駅(大田区 多摩川の河原)

大田区 多摩川の河原

北野天神の南側、坂を上って、土手の上に出る。その先には、多摩川の河川敷。
この河川敷のどこに、江戸時代の渡船場が、あったのか、ちょっとわからない。
ひょっとしたら、今、立っている位置から、もう少し、東寄りかも。
ここから、やや東側へ、ちょっと、離れたところに、六郷神社があり、東海道は、そのすぐ、西側を、南北に伸びていたからだ。
そういえば、六郷神社の近くには、八幡塚、という、小山があったらしい。
今は、もう、なくなってしまって、古墳の跡かどうか、わからないけど。
その、八幡塚に因んで、あたりは、八幡塚村。
たしか、今回、訪れた、川崎の女体神社のあるあたりは、八幡塚村の住民が、移ってきたんだっけ。
たいした距離ではないので、移住、というと大袈裟かも。
それに、江戸名所図会によると、六郷神社の、神輿は、多摩川を越え、南岸にも渡ったという。
とすると、このあたりでは、本来、多摩川の両岸は、一体だったのかもしれない。
往来は、頻繁に行われていたのかな。
もっとも、田畑が、広がっていた、というわけではないので、南岸に、移り住むとしたら、その意味は、あまり、なかっただろうけど。
だから、江戸時代に入って、流域が、大規模に開拓された、というのは、画期的なことだったのだ。
当時も、こんな風に、土手の上に立って、新天地に思いを馳せながら、多摩川を、眺めたのだろうな。
そして、その先には、将来に対する、大きな、夢と希望があったのだ。
決して、「行き止まり」、ではなかったに違いない。
きっと、そうなんだろう。
今の時代、自分には、その、夢と希望は、もはや、見えないのだけど。
(2009年9月記)