銀座線外苑前駅(外苑総合グラウンド)

外苑総合グラウンド

巨大な銀杏の木が並ぶ間を、北へ北へと、歩いていく。
歩けど歩けど、銀杏並木は、尽きない。
よく、こんな、広大な、庭園を、都心に作れたな、と感心してしまうが。
もっとも、作っていた頃は、都心ではなかったんだろうけど。
神宮外苑が、できる前は、青山練兵場、というのが、あったらしい。
さらに、その前は、何があったのだろうか。
試みに、明治時代の初め頃の、地図を、見てみると、果たして、何もない。
畑地と、青山通り沿いに、農村があるばかり。
むろん、江戸時代も、同じ。農村地帯だ。
江戸時代や、江戸時代の、残滓が色濃い、明治時代は、都心、といえば、むしろ、東側。江戸城に近くとも、西側は、かくのごとく、それほど、開けていない。
こんな、長閑な、田園地帯が、ある時期、閑寂な、庭園に、なったところで、あまり、変化は、ないと思うんだけど。
さらに、銀杏並木を、北へと、進んで行くと、突き当たりには、広々とした、グラウンド。外苑総合グラウンドが、広がっている。
西側には、ちょっと、離れるが、神宮球場もある。
神宮外苑は、庭園、という側面以外に、スポーツの施設、という、側面もあるようだ。
最近の、公園では、当たり前のような気もするけど。
とすると、神宮外苑は、庭園ではなく、むしろ、公園の部類なのかもしれない。
庭園と公園が、スポーツ施設の、有無によって、分類されるものかどうか、わからないが。
でも、それはそれとして、スポーツ、といえば、市民の憩い。
神宮外苑の完成が、昭和になるか、ならないかの時代。
そろそろ、市民のベッドタウン、郊外が、誕生してくる時期だが、そのことと、無関係ではないような気もする。
(2009年10月記)