田園都市線三軒茶屋駅(上馬五丁目 蛇崩川緑道)

上馬五丁目 蛇崩川緑道

蛇崩川緑道をさらに、西へと、歩いていく。
ますます、まわりには、これといって、何もなくなる。
周囲には、静かな、住宅街があるばかり。
地名は、上馬。
もともとは、馬引沢、というのが、あって、それが、いつしか、上馬引沢、下馬引沢、と、分離。
さらに、上馬、下馬、となって、現在に、至っているらしい。
で、その、もとになった、「馬引沢」は、どこなんだろうか。
そもそも、馬を引っ張り込む沢、なんて、あまり、縁起がよさそうな、感じはしない。
だから、下の、「引沢」を、とってしまったのだろうけど。
とすると、ますます、その沢には、興味が、湧いてくる。
実は、その沢、今の、下馬付近の、蛇崩川だったらしいのだ。
かつての「蛇崩」と呼ばれた場所の、すぐ、西側ではないか。
ひょっとしたら、昔、地盤が、緩くて、馬が、足を取られ、身動きできなくなってしまった、なんて、ことがあったのかもしれない。
いや、あったのかもしれないどころか、頻繁にあったに違いないと思う。
だからこそ、江戸時代より前、このあたりは、ほとんど、往来が、なかったのだ。
馬が、立ち往生しては、困ってしまうし。
大山詣のための道が開通し、あたりが、開けてくるのは、江戸時代を、待たなければならなかったのだろう。
それにしても、下馬、上馬以外にも、南側には、駒沢や、あるいは、駒繁神社、駒留八幡など、一帯は、余程、馬に縁があるものらしい。(もっとも、「駒沢」という地名は、明治時代からのもので、歴史があるわけではないし、そもそも、駒沢という沢が、あったわけではない。もしかしたら、「駒沢」は、「馬引沢」のことかな。ちょっと、離れているけど)
かなり北になるが、駒場、という地名も、この一帯と、関係がありそうだ。
おそらく、かなり昔、どのくらい昔か、わからないが、一帯には、広大な、放牧場でも、あったのだろう。
馬が、その中で、飼われていたわけだが、ときに、馬引沢で、足を取られてしまったりしたのかな。
そこで、注意を喚起するために、地名にしたわけだ。
現在は、逆に、縁起がよさそうではないし、不動産価値が下がりそうだし、ということで、馬引沢は、名前としては、なくなってしまったのかも。
そして、かくのごとく、閑静な、住宅街になったのだ。
(2009年10月記)