東西線神楽坂駅(神楽坂 善国寺 毘沙門天)

神楽坂 善国寺 毘沙門天

神楽坂の途中には、毘沙門天を祀る、善国寺。
神楽坂では、最も、有名な名所に違いない。
ということで、善国寺を調べるため、江戸名所図会を、繰ってみる。
たしかに、坂の中腹に、善国寺の描いてある、絵はあるものの、残念ながら、記事はなかった。
それに、その絵に該当する記事は、神楽坂のもので、たまたま、善国寺が、絵に、描き添えられている程度。
ということは、おそらく、当時、神楽坂といえば、毘沙門天の善国寺、というわけではなかったのだろう。
ただ、神楽坂を上りきった、その先、西へと進むと、高田稲荷明神社、今の、早稲田大学の敷地全域にあたる、があったのだが、その境内の中に、毘沙門天が祀ってあったらしいのだ。
どうやら、当時は、そちらの方が、有名だったみたい。
さらに、少し、西側には、南北に、鎌倉街道が、通っているわけで、有名だったのは、江戸時代どころか、その、ずっと前から、だったようだ。
だから、神楽坂が、いつできたのか、わからないが、すくなくとも、江戸時代は、神楽坂を上ったその先には、穴八幡や、高田稲荷明神社があって、その、高田稲荷明神社に、毘沙門天が祀ってある、ということだったのだろう。
それが、いつしか、江戸時代半ばに、今の、麹町から、神楽坂中腹に、移ってきた、善国寺にも、毘沙門天が、祀ってあるじゃないか。しかも、坂を、上りきらなくても、その途中に、あるし。
そういうわけで、毘沙門天、といえば、神楽坂の善国寺、ということになったのかな。
本当は、どうだか、わからないけど。
ちなみに、先に、毘沙門天のあった、高田稲荷明神社は、今は、早稲田大学敷地になり、もっと、西に、移転している。
そして、当の毘沙門天、どこにいってしまったのやら。
(2009年10月記)