東西線神楽坂駅(神楽坂 尾崎紅葉旧居跡)

神楽坂 尾崎紅葉旧居跡

朝日坂をこうして、歩いてるのは、実は、寺町を、見たかったからではない。
この通り沿いに、尾崎紅葉旧居跡があるからだ。
ただ、ずっと歩いていると、南側を平行して、伸びている、大久保通りに、出てしまい、いっかな、辿り着けない。
そこで、大久保通りを通って、神楽坂へ戻り、最初っから、また、朝日坂を歩いてみたが、やはり、だめだった。
かくなるうえは、ということで、いったん、大久保通りへ。途中、袖摺坂を上って、朝日坂に入ってみる。
当然、結果は、同じ。
仕方がないので、朝日坂に平行する路地に、片端から、入ってみる。
これも、無駄足に終わった。
もう、諦めて、帰ろうと、思い、神楽坂へ。
そのとき、朝日坂沿いにある、という記憶を信じて、もう一度だけ、注意深く歩いてみようと、思い立つ。
今度は、朝日坂を、慎重に、進む。
すると、果たして、南側、路地が伸びていて、その先に、尾崎紅葉の旧居跡があった。
厳密に言えば、通りに面しているわけではない。これでは、判らないわけだな。
さっそく、路地に入り、近付いてみる。
そこには、なんとも、小さな、庶民的な家。こんな、みすぼらしいところに、尾崎紅葉は住んでいたのか。
このときは、とても、意外だったが。
でも、だからこそ、「金色夜叉」が、書けたのだ、と、今では、思っている。
つまり、金色夜叉、金の亡者、の悲しみ、というテーマは、このような、お金とは、無縁の場所でなければ、思いつかなかっただろう、ということだ。
再び、閑静な商店街、神楽坂に出て、南東へ。坂を、下っていく。
その先には、すっかり、変わってしまった、飯田橋
ようやく、帰途に着く。
(2009年10月記)