南北線溜池山王駅(赤坂 氷川神社)

赤坂 氷川神社

氷川坂の中腹、西側には、氷川神社
氷川神社の脇にある坂だから、氷川坂なんだが。
さっそく、境内に入ってみる。
鬱蒼とした緑、森閑とした佇まい。
太古の雰囲気をそのまま、今に伝えているかのよう。
と思ったら、この地に、移ってきたのは、意外と、新しい。
江戸時代のことだ。
もとの場所は、今の、赤坂四丁目。赤坂不動尊のあたりか、あるいは、その、もっと、西側か、わからない。
また、当時は、古呂故(ころこ)宮、といったらしいのだが、こちらも、同じく、まったく、わからない。
ひょっとしたら、最初は、胡録神社、小六神社、だったのかも。やっぱり、違うかな。
場所を、移ったからといって、氷川神社に、変わることは、ないはずだし、それに、まわりには、他にも、氷川神社は、あるからだ。
たぶん、最初は、古呂故氷川神社、とでも、いったのだろう。
とすると、はるか昔、青山通りの南側、赤坂の台地は、古呂故(ころこ)、だったわけだが、この不思議な地名、ますます、わからない。
しかも、今は、その地名の痕跡が、もう、完全になくなっている。
おそらく、江戸時代になる以前、すでに、古呂故(ころこ)は、一木(ひとつぎ)、になっていたに違いない。
想像するに、こういうことかだろうか。
すなわち、最初に、入植した者、あるいは、先住者がいて、その時は、古呂故(ころこ)だったのだが、平安時代末から鎌倉時代にかけて、関東平野の各所で、開拓が始まると、この地に、氷川神社が、移されてくる。それが、赤坂氷川神社の始まりとなる。
そして、いつしか、古呂故(ころこ)は、一木(おそらく、元は、人継)(ひとつぎ)になったのだ。
もっとも、本当は、どうだか、わからない。
すべては、過去のこと、遠く過ぎ去った、昔の事なのだ。
(2009年10月記)