南北線溜池山王駅(赤坂 氷川町四番地の勝海舟邸跡)

赤坂 氷川町四番地の勝海舟邸跡

東へ歩き、途中、南へ。再び、坂を上る。
さっきの、氷川神社の南側の通りに戻る。
その通りを、東へ。しばらくして、北へ伸びる道に入る。
そのまま、北へ進むと、赤坂こども中高生プラザという施設。もとは、氷川小学校だったらしい。
その一画に、もう一つの、勝海舟邸跡を示す表示板。
こちらは、徳川幕府消滅、江戸城開城、という歴史的な大事件の事後処理で、江戸を、一時的に離れた後、再び、戻ってきてからの、住居だ。
旧体制側の要職にありながら、また、戻ってくる、というのは、妙に思えるし、江戸城開城にしても、一見すると、裏切り行為のようだが。
でも、そう感じさせないところが、勝海舟たる、所以なのだろう。
たとえば、江戸を離れていた間は、大勢の旧幕臣の生活保障のため、奔走していたわけで、新体制に、鞍替えしたわけでもないし、新しく権力の座に就いたわけでもない。
そのように見てくると、裏切りには、当たらないはずだ。
この地に、居を定めてから、勝海舟の記した、「氷川清話」を、読むと、そのことに関して、興味深いことが、述べられている。
すなわち、時勢の流れにとらわれ、権力に振り回されることの、愚かさ、についてのことだが。
幕末の頃、あれだけ、大騒ぎして、徳川幕府を、糾弾したのに、わずか30年で、元将軍の、徳川慶喜が、東京に居ようが、静岡に居ようが、世間は、もう、すっかり、頓着しなくなってしまっている。
同じような例として、幕末期、あれだけ、流行っていた、水戸藩藩主の徳川斉昭、たった30年で、すっかり、過去の者になっている。
かほどに、時代の流れとは、儚いものなのだ、ということ。
さらに、最後に、「氷川清話」は、こう言っている。
ただ、誠意正心をもって、現在に応ずるだけの事さ。
つまり、誠意正心、現在に応じた結果の積み重ねが、歴史、ということなのかな。
たしかに、それはそうなんだけど。
ただ、こんな風に、歴史の流れに、淡白だと、とても、大河ドラマの主役を、はれないのは、確かだな。
もっとも、大河ドラマに、ネタを提供するために、生活している者は、あまり、いないと思うけど。
自分も、「現在に応ずる」ために、帰った方が、よさそうだ。
東に向かって歩き、溜池山王駅で帰る。
(2009年10月記)