銀座線浅草駅(吾妻橋から隅田川下流方向を臨む)

吾妻橋から隅田川下流方向を臨む

リバーピア吾妻橋を過ぎれば、その向こうには、吾妻橋
その吾妻橋を渡り、浅草へ向かう。
橋下には、絶え間なく、滔々と流れる大河、隅田川
この川の流れは、幾千年の昔から、変わらないのだな。
そして、間違いなく、幾千年の後も、同じだろう。
そんな思いに駆られながら、橋を渡っていく。
もう、対岸の浅草に着く、というその間際、ふと、川下の方を、見やると、係留された、何艘もの、屋形船。
たぶん、もう、夕刻ゆえ、夜の舟遊びの準備に追われているのだろうか。
この、波間にたゆとう屋形船を眺めていると、浅草も、すっかり、観光地になったな、と実感してしまう。
以前は、レトロな繁華街にして、鄙びた観光地、だったけど。
変われば変わるものだ。
それでも、高度成長期より前は、都心を代表するような、大繁華街だったのだ。
昭和の初め頃、銀座線が、開通したとき、一方の、終着駅になったのも、頷ける。
江戸時代も、近場リゾート地として、大いに賑わったらしい。
隅田川沿いには、別宅が、並んでいた、ということだ。
江戸時代よりも前は、鎌倉街道、そして、湊、渡船場
交通の要衝にして、物流の拠点だったのかな。
それ以前は、どうなんだろう。もう、わからない。
最初の、入植者が、漁師を生業にして、暮らしていたのだろうか。
それとも、縄文時代からの住民が、暮らしていたのだろうか。
たぶん、縄文時代の住民は、高台に住んでいたので、入植者かな。わからないけど。
わかっているのは、その頃も、今と同じように、隅田川が、ゆったりと、流れていた、ということ。
もう、帰ろう。
吾妻橋を渡りきれば、すぐに、銀座線の入口があるはずだ。
たしか、銀座線の構内、ちょっと前までは、ずいぶんと、レトロで、旅情を誘われたものだが、最近、きれいに、改装されてしまった。無粋で、残念だけど。
もっとも、また、何十年も経てば、レトロになることだろう。
時代の流れも、川の流れのごとく、ということなのかもしれない。
(2009年10月記)