東武伊勢崎線北千住駅(千住四丁目 氷川神社)

千住四丁目 氷川神社

水嵩が、これ以上、増してくるという感じではないけど、圧倒的な、水量の多さに、だんだん、気圧されてきたので、退散することにする。
河川敷、虹の広場を、南へ。
再び、土手を、越え、名倉接骨医院の東側を、さらに、南へと、歩いていく。
あたりは、静かな、住宅地。晩秋の、寂漠感、漂う風情だ。
しばらくすると、氷川神社の境内。
地面には、落葉が、敷かれ、秋の装い。
物寂しく、秋、ますます、深まる、という感じがするな。
そういえば、この神社の創建、江戸時代に入ってかららしい。
千住宿が、賑やかになってきた頃だろうか。
いわれについては、よく、わからない。
ということで、ちょっと、明治時代の、地図を見てみる。
まだ、鉄道や、駅が、なかった頃の地図なので、明治時代とはいえ、それ以前、江戸時代の、千住宿の街並みを窺えるはずだからだ。
当時の、千住宿の北端は、やはり、さっき、通ってきた、名倉接骨医院まで。
氷川神社、名倉接骨医院、安養院が、その北端を、包み込むように配置されている。
やはり、千住宿の、街並みと、この、氷川神社は、深く、関わっているに違いない。
ところで、この、明治時代の地図を見て、一番、驚くべきことは、大河、荒川が存在しないことだ。
荒川が、ないならないで、千住宿の街は、これからの、北関東、東北への、長の旅路の起点、という感じがするものだな。
今は、当たり前のように、荒川が、流れている。
このように、見てくると、本当に、時代の流れを、感じてしまう。
(2009年11月記)