南北線志茂駅(志茂 隅田川の土手)

志茂 隅田川の土手

七溜商店会を東へと歩く。
商店は、疎らとなり、やがて、住宅地。そして、隅田川の土手に、行き当たる。
土手といっても、壁のような、堤防なので、隅田川を、見ることはできない。
堤防に沿って、北西へ。その先には、遠く、岩淵水門。
ここで、荒川は、本流と、隅田川に、分流している。
明治時代までは、荒川が、途中で、隅田川に、名前が、変わっていただけだったけど。
大正時代に、隅田川の、水量を、減らすために、別の、人工河川、今の荒川を、開削したのだ。
だから、明治時代以前の、隅田川は、今よりも、もっと、大河だったのだろう。
さらに言えば、江戸時代以前、その隅田川には、利根川まで、流れ込んでいたらしい。
江戸時代になって、利根川は、流路を、太平洋側、銚子に、付け替えられている。
そのおかげで、江戸の街はできたのかな。
ということは、江戸時代よりも前、東京湾奥には、今よりも、はるかに、大きな河が、流れ込んでいたことになる。
たぶん、そのおかげで、下流域は、いたるところ、湿地帯だらけだったはずだ。
開拓、開墾は、かなり困難だったに違いない。
当時は、高台に、細々とした、暮らしがあっただけかな。
そんな昔と比べれば、今は、ずいぶんと、変わった。
道路ができて、家々が建ち並び、街並みは、どこまでも広がっている。
もはや、そんな昔の光景を、思い浮かべることは、とうてい、できないぐらいだ。
(2009年12月記)