南北線志茂駅(志茂四丁目 熊野神社)

志茂四丁目 熊野神社

さらに、隅田川の堤防に沿って、歩くと、熊野神社がある。
創建は、鎌倉時代の末頃。
近くには、赤羽の台地から、伸びてきた、鎌倉街道の、岩淵の渡しがあったので、その近く、ということで、鎌倉時代、開拓された、集落があったのだろう。
その集落のために、創建された神社に、違いない。
一帯の地名は、志茂、なのだが、明治時代の地図を見ると、「下」、となっている。
岩淵の渡しからは、下流になっているので、「下」、だったのだろうか。
今のように、字が変わったのは、おそらく、「下」では、上下の下、になってしまうので、別の漢字を当てて、「志茂」になったのかな。経緯については、ちょっと、よくわからないけど。
再び、明治時代の地図を見てみると、当時の、志茂の集落は、意外と、大きかったようだ。
北本通りは、その頃、まだ、なかったが、その東側に、南北に伸びる、細い道があり、岩淵の渡しまで、達している。
ちょうど、さっき、通った、七溜商店会と、交差する、志茂銀座商店街が、その道の跡かもしれない。
その道は、いつから、できたのか、わからないが、とにかく、志茂の集落を経由する、交通の往来があったわけだ。集落が、ある程度、大きかったからだろう。
そして、北本通りは、その道を継いだ、ということかな。
だとすると、やはり、七溜商店会は、盛んだった頃があったに違いない。
今は、すっかり、寂れ果てているけど。
たぶん、その繁栄は、赤羽に、移ったのかもしれないな。
(2009年12月記)