京浜東北線赤羽駅(赤羽 宝幢院)

赤羽 宝幢院

北本通りを西に歩く。
さっき、降りた、赤羽岩淵駅を過ぎると、交差点。
その交差点を、北に向かえば、荒川を越え、埼玉県、川口の街。
そのまま、西に向かえば、環状八号線となる。
ちょっと前まで、環状八号線は、ここから、少し進むと、二車線の、普通の道路になったものだが。
ずっと西側の、中山道まで、道路幅は、二車線のまま。
いつしか、徐々に、幅が、広がって、今は、幅広な通りになっている。
それまでは、なにか、忘れられたような、場所だったのだが。都心の区域が、ここまで、広がってきた、ということだろうか。
今回は、交差点を南西方向へ曲がり、そのまま、南西へ。
赤羽の街に、入っていくので、だんだん、賑やかになってくる。
しばらく進むと、京浜東北線の高架の手前、通りの北側に、宝幢院。
創建は、鎌倉時代の次、室町時代。ただ、最初は、ここから、西側、浮間船渡にあったらしい。当時、開拓が、そちらの方まで、及んできた、ということか。
その後、この場所に、移転してくるわけだが、それがいつだったかは、わからない。
興味深いのは、北上してきた、日光御成街道が、ちょうど、この場所で、北東へ向きを、変え、その一方、西側、板橋方面にも、街道が、伸びていたのだ。
つまり、街道の分岐点だったわけだが。
分岐点ということは、交通の要衝。それで、宝幢院が、あったのだろうか。
江戸時代の街並みは、このあたりから、北側、荒川までだったのも、そのためかも。
(2009年12月記)