東西線大手町駅(大手濠)

大手濠

内堀通りを、南へ南へと、歩いて行く。
西側には、大手濠。
江戸城大手門があるので、大手濠なのだろう。
たしか、大手門といえば、普通の建物の、正面玄関にあたる。
玄関が、海に面していたわけだろうか。
徳川家康が、江戸城を、改築しているとき、江戸城の東側は、日比谷入江、海だったので、実際、たしかに、そうだったはずだが。
もっとも、改築が、完成すると、日比谷入江は、わざわざ、埋め立てられている。
大手門を設置する予定だったので、埋めたのか、最初から、埋め立てる予定だったので、大手門を設置したのか。よくわからないが。
たぶん、大手門というのは、城郭の中心部と、直結する門、なわけであり、とすると、江戸城の、本丸、二の丸、三の丸、の位置から考えるれば、前者、つまり、後から、仕方なく、わざわざ、埋めた、と考えた方が、いいような気もする。
では、なぜ、そのような位置に、城郭の中心部分、本丸、二の丸、三の丸を、配置したのだろう。
おそらく、もともとの江戸城、つまり、江戸氏、太田道灌の、江戸城が、そこに、あったから、そうせざるを得なかったのに違いない。
ということは、江戸氏、太田道灌江戸城は、海に、面していたわけだ。
ひょっとしたら、このように、海に面していたとすると、最初の、江戸城、城塞、というよりも、戦国時代の堺の港、あるいは、同じく、戦国時代の、石山本願寺、みたいな、城郭都市だったんじゃないかな。
城郭都市、というほど、本格的ではなくとも、交易施設を、濠、城壁で、囲んだ、そんな場所だったのでは、と想像してしまう。
意外と、広々とした、濠の水面を、目の当たりにすると、かつての、日比谷入江のあったころを、想起させ、そんな空想が、浮かんでしまっただけかもしれしないが。
(2009年12月記)