山手線渋谷駅(松濤の住宅街)

松濤の住宅街

冬枯れの鍋島松濤公園。年末ということで、誰もいない。
見たところ、大名庭園の、成れの果てみたいだが、実際、その通りだ。
江戸時代は、紀州徳川家下屋敷、庭園だったらしい。
明治時代になると、肥前藩の元藩主、鍋島家が、買い取っている。
肥前藩といえば、明治維新の立役者、敗れ去った、徳川幕府を買い叩いたわけかな。
その後、鍋島家は、一帯を、茶畑にする。
なるほど、台地や丘陵地は、茶畑や果樹園に適しているわけだ。
松濤という地名も、茶畑を宣伝するために開設された、茶園の名前かららしい。
これで、万事、うまくいくと思ったら、さにあらず。
直に、静岡の茶栽培が、始まり、そちらの方が、全国ブランドになってしまった。
鍋島家の茶畑は、あっというまに、衰退してしまう。
そういえば、静岡の茶栽培は、職を失った、徳川幕府幕臣たちの創業だったな。
もちろん、鍋島家に、報復するために、茶栽培を、始めたわけではないのだろうけど。
因果応報の、不思議さを、目の当たりにするような感じがする。
ところで、その後は、どうなったのかというと、茶畑は、徐々に、郊外住宅地に、再開発されていったのだ。
そして、今に、至る、山の手住宅地、松濤になったわけ。
昭和の初め頃のことだ。
(2009年12月記)