中央線三鷹駅(太宰治が身罷った現場の近く)

太宰治が身罷った現場の近く

中央線に沿って、東へ。
駅前近くに向かうに従い、賑やかになってくる。
静かな北口とは、ちょっと、雰囲気が違うな。
おそらく、三鷹は、駅南口が、旧市街で、北口が、新市街だから、かもしれない。
そして、そのような、旧市街は、再開発されやすいのだ。
すでに、駅前広場の上空には、ペデストリアンデッキが、整備されているし。
もっとも、昨今は、駅近くなら、静かな、北口でも、高層住宅が、建つけど。
それはそれとして、太宰治ゆかりの場所が、すべて、南口側にあるのは、当時の街並みが、駅南口側にしか、なかったからだろうな。
ただ、高度成長期、市街化の波によって、ゆかりの地は、ほぼ、当時の姿を、留めてはいない。今は、表示板が、あるだけだ。
だから、それらの地を、巡っても、距離感は、実感できるだろうが、雰囲気を、感じることは、期待できないに違いない。
ということで、そのまま、駅前を、通り過ぎ、玉川上水の沿道へ。
玉川上水は、三鷹駅南口から、南東方向に、流れているのだが、その、南側を、歩いていく。
こうして、歩いてみると、北口は、普通の、郊外だが、南側は、閑静な、住宅街、という感じがするな。
むらさき橋を過ぎ、延々と歩いていく。
このままだと、ジブリ美術館じゃないか、ひょっとしたら、通り過ぎたかな、と気付き、あわてて、引き返す。
また、むらさき橋を通り過ぎ、三鷹駅へと向かうと、果たして、太宰治が、入水した、現場の跡。
意外と、駅に、近いのだ。
近いというよりも、当時は、駅前に、商店などが、かたまっていた他は、何もなかったのだろう。
雑木林や、畑地が、広がるばかりだったはず。
駅前の、繁華な、雰囲気から、一歩、隔たった、武蔵野の大地の中だったのだ。
(2010年1月記)