中央線三鷹駅(太宰治の住んでいた家の近く)

太宰治の住んでいた家の近く

今度は、太宰治が、暮らしていた、旧居を訪ねようと思う。
ただ、何度も、書いているが、当時と、今とでは、環境が、まったく、違うので、その場所に、行ったとて、雰囲気を感じることは、できない。
それでも、いちおう、距離感ぐらいは、掴めるかな、ということで、玉川上水の南側を、東南方向に、歩いていく。
再び、むらさき橋を過ぎ、少し、行ったところで、南へ。細い路地に入り、そのまま、南へ南へと、向かう。
このように、細い路地が、均等に、南北に、並んでいるのは、おそらく、この道が、畑の畦道だったからだろうな。
そんなことを考えながら、南へ歩いていくと、道路の東側に、井心亭、という、和風庭園、座敷、広間を擁した施設が、現れる。
この、井心亭の、道路を挟んで、西側か、北西側に、太宰治の家が、あったらしい。
今、こうして、見てみると、何の変哲もない、住宅街の中、当時の、面影は、まったく、残っていないのだ。
敢えて、書いてみると、太宰治の家を含めた、数棟の、平屋が、畑の真っ只中に、あった、ということなのだが。
これでは、よく、わからないので、最近の映画、「ヴィヨンの妻」を参考にしてみる。
この映画の中では、太宰治の家は、陋屋、質素な家屋で、まわりには、何もなく、実際、リアルな感じ。
さらに、駅からの道は、ほとんど、畑道。
もっとも、高度成長期以前の、郊外の住宅なんて、皆、こんなものだったと思うけど。
つまり、武蔵野の、長閑な、風土を、満喫できそうな環境だったのだ。
だが、そんな、暢気な、雰囲気は、映画「ヴィヨンの妻」からは、感じられず、切迫した空気が、流れている。
郷愁の武蔵野は、どこへ、いったのだろうか。
(2010年1月記)