日比谷線築地駅(勝鬨橋 築地側たもと)

勝鬨橋 築地側たもと

晴海通りを、南東へ、歩いていく。
しばらくすると、隅田川には、有名な、勝鬨橋
昭和の初め頃に、完成している。
かつては、船を通すために、橋は、真ん中から割れ、上へと、開くように、持ち上がったのだ。
もちろん、今は、その必要はないし、交通が、途絶するので、橋が、開くことはない。
ただ、橋を、渡っていると、トラックが通るたび、ガコンガコン、と揺れるので、そのような装置が、橋に、組み込まれていることを、実感するが。
それにしても、勝鬨、とは、よく、名付けたものだ。
たしか、近くの、築地市場の開設も、同じ頃だし。
橋を渡った先、月島は、重工業地帯として、いよいよ、発展。
そのような、強気な、名前を、橋に付けたくなる、世の中だったのだろう。
いまだったら、勝鬨橋、ならぬ、勝ち組橋、かな。
なんか、自分には、到底、渡れそうもない。
ところで、勝鬨橋を渡った、ずっと先には、豊洲新市場予定地がある。
今は、荒涼としているが、将来的には、江戸の食文化を伝える、賑やかな、一体になる予定だ。というより、予定なはずだったのだが。
今さら、高層住宅を建てようにも、不動産価値は、もはや、ないだろうなあ。オフィスビルといっても、バブル期だったら、わかるが、そんな、需要はないし。
他の埋立地も、ゴミで、埋め立てたわけだから、豊洲新市場予定地と、変わらないだろう。こちらは、なんとなく、高層住宅街にしてしまっている。有効利用というわけだ。
だが、市場は、そんな、わけには、いかない。
そこで、今、更地になっている、東京国際見本市会場の跡地、晴海五丁目の方が、いいんじゃないかな、と思えてくる。
清掃工場があるけど、ごく新しい施設だし、ちょっと離れているし、市場が移転してくるとなれば、豊洲新市場予定地に移転してしまえばいい。
今の、豊洲新市場予定地よりは、ずっと、条件的には、ましな気がするんだけど。
たぶん、最初っから、移転ありき、だったら、そのような、いろいろな、選択肢なりが、あったはずだ。今さら、もう、無理だな。
(2010年1月記)