総武線飯田橋駅(春日一丁目 牛天神)

春日一丁目 牛天神

細い路地を、北へ。
車道を、横切り、さらに、北へ進む。
突然、高台への、石段が、現れる。
牛天神の石段だ。
上っていけば、境内があるのだが、今回は、時間がないので、やめる。
昔、一度、訪れたことはあるけど。
見晴らしがよくて、とても、感じのいい、境内だったな。
創建は、おそらく、鎌倉時代か。
鎌倉時代だとすると、関東平野が、開拓された時代だ。
例のごとく、高台の突端なので、牛天神が、創建される前にも、先住民の、祭祀の場が、すでに、あったに違いない。
さっき、訪れた、諏訪神社は、たぶん、この、牛天神が、創建されたあと、しばらくして、麓に、できたのだろう。
それにしても、江戸名所図絵に載っている、牛天神の挿絵、今の、牛天神や、諏訪神社、あるいは、まわりの地形を、かなり、彷彿とさせていて興味深い。
時代が違うだけで、同じ場所なのだから、当然かもしれないが。
江戸時代と、違う点があるとすると、牛天神がある、高台の麓、諏訪神社との間に、神田上水が、昔は、流れていたこと。
表門は、南側にあったらしいのだが、今は、なくなっていること。とすると、今、目の前にあるのは、裏門、ということなのだが。
さらに言えば、裏門の北側には、階段ではなく、坂道、いわゆる、女坂が、かつては、あったらしい。
そして、その、女坂を下ったところに、牛石、というのが、あったようだ。
座った牛の形をしている、巨石だから、牛石なのか、どういう、謂れがあるのか、さっぱり、わからないが。
実は、今、その、牛石、丘の上、境内にあるのだ。
こうして見ると、変わるものもあれば、変わらないものも、ある。
歴史の流れというのは、本当に、不思議なものだな。
(2010年1月記)