総武線飯田橋駅(小石川三丁目 伝通院)

小石川三丁目 伝通院

牛天神の鳥居から西へ伸びる小道を、そのまま、西へ。
参道という感じがしないのは、やはり、裏門だからかな。
すぐに、南北に伸びる通りに出る。別名は、安藤坂。
坂を上っていき、北西に伸びる、春日通りを越え、さらに、北へ。
その先には、有名な、伝通院。
増上寺寛永寺、と並んで、江戸の町を代表する、徳川家と縁の深い、大寺院だ。
江戸時代は、さぞ、隆盛を誇っていたことだろう。
ただ、明治時代になって、徳川幕府が、倒れた後、風当たりは、相当、厳しかったに違いない。
それでも、なんとか、残り、今は、名刹として、知れ渡っているのだから、立派なものだ。
だが、明治時代の終わり頃、伝通院は、焼失している。増上寺も、偶然、同じ年に、大火事。寛永寺は、すでに、明治維新のときの戦火により、灰燼に帰している。
明治時代まで、残ったとしても、建物は、結局、消滅してしまったわけだ。
もっとも、その後、戦災があったりするので、残ることは、なかっただろうけど。
その、伝通院が焼失する直前、当日だが、作家の永井荷風が、訪れている。
江戸の時代から変わらぬ、伝通院。子供の頃の思い出がそのままに残る、心の拠り所。
訪れた翌朝には、もう、すでに、灰になってしまった、ということだ。
諸行無常。そういうことなのかもしれない。
でも、伝通院は、今、こうして、目の前にある。
しかも、なにやら、工事中。ますます、変貌しているみたい。
変化しても、それを受け入れられる、ということなのかな。
だから、こうして、変わらず、残り続ける。
どうだか、わからないけど。
伝通院を訪れたことだし、もう、帰ることにする。
安藤坂を下って、飯田橋駅へ。
冬晴れの、陽射しは、心なしか、少し、暖かかった。
(2010年1月記)