日比谷線南千住駅(南千住側から臨む千住大橋)

南千住側から臨む千住大橋

住宅地の中、西に向かうと、しばらくして、巨大な、千住大橋の袂に出る。
この、千住大橋についてだが、江戸時代早々には、すでに、架かっていて、隅田川では、最初の橋、ということだ。
しばらくは、橋が、一つしかなかったので、橋の名前は、シンプルに、大橋、となっている。
両国橋など、他に、橋が、完成すると、区別するために、千住大橋、になったらしい。
でも、よく見ると、橋の上部に、大橋、と記されているわけで、正式名称は、今も、ひょっとすると、「大橋」、なのかもしれない。
どっちが、本当の名前なんだろうか、わからないが。
ただ、はっきりしていることは、江戸の街にとって、この、交通路が、もっとも、重要だったということ。
だから、最初に、橋が、架けられたのだ。
しばらくして、橋の北側には、千住宿が、設けられる。
その千住宿は、拡大を続け、ついには、橋の南側にも、広がっていった。
もっとも、さっき、訪れた、日枝神社の創建が、鎌倉時代なので、すでに、集落はあったと思う。
とすると、隅田川北岸の、千住宿に、吸収合併された、ということかな。
時代は、下り、江戸時代の次の明治時代。
千住は、隅田川を挟んで、北千住、南千住に、分けられる。
このとき、千住になる前の、地名にしてもよかったかもしれない。
もっとも、小塚原町は、ちょっと、まずいかな。
それはそれとして、高度成長期まで、一帯は、それなりに、賑やかだったらしい。
そして、今は、寂れた、昭和レトロの街。
時代は、流れていく。
これから、どうなっていくのだろう。
(2010年3月記)