半蔵門線半蔵門駅(半蔵門あたりから臨む桜田濠)

半蔵門あたりから臨む桜田濠

内堀通りを北へと、歩いていく。
通りの東側は、桜田濠だ。
しばらくすると、半蔵門
この半蔵門より、南側が、桜田濠で、北側が、半蔵濠、となっている。
それにしても、この場所からの景観、なんと、壮大なんだろうか。
海が、すぐそばなのに、大きな、深い谷。
人工的に、濠を、穿った、というよりも、たぶん、もともと、天然の谷地なのだろう。
逆に、濠として、転用したからこそ、もとの、地形が、残ったとも、考えられる。
そうでなければ、平に成らされていたに違いない。
ところで、この、谷地の、西側斜面に、さっき、訪れた、最高裁判所、および、国立劇場が、あるわけだが、江戸時代の初め頃、そこには、山王日枝神社が、一時期、あったことがある。
元山王、という地名が、残っているのは、そのためだ。
山王日枝神社、大田道灌の頃、室町時代に、川越から、連れてこられたのだが、最初は、江戸城、梅林坂あたりにあったらしい。
その後、徳川家康の頃に、西側、紅葉山に移り、さらに、その西側、桜田濠の西斜面に移っている。
そして、また、しばらくすると、今度は、溜池の東岸へ移動し、今に至る。
江戸城、あるいは、江戸の町が、拡大するにつれ、移動していった、ということかもしれない。
もともと、太田道灌の頃は、江戸城、今の、皇居東御苑のあたりの部分しかなかったようだ。紅葉山も、その頃は、江戸城の西側の、丘だったのだろう。
桜田濠も、麹町あたりからの、幾筋もの細流を、集めて、流れる、谷地だったに違いない。
ただ、この壮大な景観は、昔のまま、なんだろうなあ。
(2010年3月記)