東西線九段下駅(花見客で賑わう靖国神社)

花見客で賑わう靖国神社

内堀通りを、北へ北へと、歩いていく。
通りは、上り勾配。
坂を上っていくと、その先には、靖国神社がある。
近付いて行くと、もう、花見客で、大賑わいの様子。
たぶん、千鳥ヶ淵公園など、花見スポットに、繰り出したものの、あまりに、寒々しい光景に、気勢が削がれ、せめて、ということで、靖国神社に、流れてきたのだろう。
自分もそうなのだが、皆、考えることは、同じなんだな。
こちらも、桜こそ、咲いていないものの、たくさんの屋台が、出ていて、もう、お祭り気分。
花見客の波に押されるように、靖国通り、九段坂を、下りていく。
下りきった所に、九段下駅があるので、実は、もう、帰るわけだが。
えらく、寒いし、日も落ちるし。
ところで、なんで、桜は、こんなに、心を動かすものなのだろうか。
特に、年を経て、だけど。
子供の頃は、桜なんて、退屈、単調、なだけだったな。
桜が、感動的なのは、桜が咲く頃、その間際、季節が、劇的に、変化するから。そういう気がする。
いくら、冬、来たりなば、春、遠からじ、といっても、冬は、冬だし。
そして、そんな風にして、やっくる、春、待ちに待った、春の到来、なのに、咲き誇っていた、桜は、全部、散ってしまうのだ。
春は、待っていれば、来るに違いない。でも、散る身にとって、春は来ないのと同じ。
散る身であればこそ、春は、いかにも、切実なのだろう。
年を経れば、自分も、散る身であることが、否が応にも、判ってくる。
春が来て、桜が舞い散っていく光景に、心、動かされないわけが、ないではないか。
ただ、今日は、まだまだ、寒くて、桜どころではない。
早く、春が、来ないかな。
(2010年3月記)