南北線白金高輪駅(白金三丁目 四の橋から上流の古い橋)

白金三丁目 四の橋から上流の古い橋

四の橋から、古川の上流の方を、見ると、使用しているとは、思えないような、とても、古い橋。
今でも、使っているのだろうか。ちょっと、わからない。
ということで、高度成長期の頃の、写真を見てみる。
同じ方向からの写真はなかったが、逆方向から、つまり、五の橋から下流、という写真は、あった。
ただ、写真を、一見しても、どうも、そんな橋は、架かっていないようだ。
たぶん、当時、まだ、昔からある、四の橋、五の橋しか、なかったのかもしれない。
さらに、もう一つ、存在しないものがある。
首都高目黒線の高架だ。
ひょっとしたら、首都高目黒線の高架を、古川上空に作る、見返りに、あちこちに、橋を、架けたのかもしれない。
でも、特に、便利になったわけでもないので、いつしか、そのまま、放置され、今のように、遺構のようになったのかな。
想像の域を、出ないけど。
そんな、四の橋界隈から、さらに、西へ。
さっき、三田の尾根道を、通ったとき、御田八幡神社の旧地の、南側を、通ったわけだが、実は、平安時代の終わり頃より以前、さらに、別の場所に、もっと古い、旧地があったらしい。
その場所が、白金で、当時は、稗田神社、という名前だった。
ちなみに、稗田神社は、蒲田にも、あるのだが、幹線道路は、内陸の高台を、通っていたので、蒲田に、あったとは、ちょっと、思えない。
おそらく、やはり、稗田神社、白金にあったと思う。
それで、白金のどこか、というと、牧岡、という場所らしいのだが。
地名は、わかったが、それが、どこなのか、まったく、わからない。
岡だから、とりあえず、白金の、一番、高いところに行ってみよう。
手掛かりは、それしかない。
(2010年5月記)