都営大江戸線若松河田駅(国立国際医療研究センター新中央棟)

国立国際医療研究センター新中央棟

江戸時代、こうした、高台には、たいてい、各藩の、大名屋敷が、配置されていた。
そして、それら大名屋敷の間に、寺社が、点在していたらしい。
清源寺も、そのような寺院の一つなのだろう。
それら寺院は、今でも、多くは、残っているようだ。
ただ、当然だが、広大な、大名屋敷は、残っていない。
その、跡地は、広大であるがゆえに、公園や、施設の敷地に、転用されている。
そんな昔のことなど、思い巡らしながら、南へ南へと、歩いていくと、東西に、伸びる、大久保通り。
この、大久保通りも、江戸時代の地図を、見ると、載っていたりする。
もちろん、当時は、大久保通り、という、名前ではなかっただろうけど。
大久保通りに入り、今度は、西へ。
しばらく、歩いていくと、北側には、国立国際医療研究センター
その中、国立国際医療研究センター新中央棟がある。
最近、竣工した、高層ビルだ。(工事中はこちら
そして、この、国立国際医療研究センターの敷地は、江戸時代、尾張藩下屋敷だったのだ。
(2010年11月記)