都営大江戸線若松河田駅(戸山一丁目 クランク状の不思議な道路)

戸山一丁目 クランク状の不思議な道路

尾張藩下屋敷の敷地は、さらに西側、戸山公園をも含む、広大なものだったらしい。
ところで、国立国際医療研究センターの南側、不思議な、形状の道路がある。
いったん、北に曲がり、すぐに、東へ、向きを、変えているのだ。
それでは、不便、ということで、大久保通りが、無理に、直進している。
最初は、大久保通りを、拡幅するのかな、とも思ったが、特に、そのような計画もないし、新設されたわけでもない。
それどころか、実は、この、不思議な形状の道路、江戸時代から、このままなのだ。
むろん、無理に、直進している、大久保通り、当時は、なかったけど。
それにしても、このような、不思議な道路、いったい、どういう謂れがあるのだろう。
聞いた話だが、武家屋敷、城塞の周囲には、もともと、多い、道路の形状、ということだ。
つまり、敵が来襲してきた際、その敵の速さを、抑えたり、あるいは、見通しを、妨げたりする効果が、あるらしい。
もっとも、他に、そういう例が、残っているか、どうも、思い浮かばないけど。
江戸城の周辺にあるのだろうか。
不確かだが、田町駅の北、第一京浜のさらに北側の道路が、迷路みたいになっているのは、薩摩藩中屋敷があって、同じような、クランク状の道路になっている、というぐらいかな。
おそらく、そういう、通行するには、不便な道路は、江戸時代が、終わった後、順次、消えていったのだろう。
残ったのは、わずか、この場所ぐらい、というところか。
(2010年11月記)