丸の内線茗荷谷駅(小日向四丁目 林泉寺)

小日向四丁目 林泉寺

このあたりの一画、学校などの施設が、集中している。
こういう場所には、江戸時代、たいてい、大名屋敷が、あるものだ。
ちなみに、貞静学園のある場所には、秋田、久保田藩支藩、岩崎藩の下屋敷
明治時代になると、一帯は、陸軍の、軍馬用病院の、敷地になっている。
そういう場所に、大塚、はあったわけだが、いつまで、あったのだろう。
聞くところによると、昭和の初め頃までは、あったそうだ。
もっとも、明治時代の地図を、見ても、それらしき、塚は、見当たらない。
敷地内、ということで、表記しなかったのかもしれない。
あるいは、すでに、かなり前から、大塚、というほどの、形状は、残っていず、伝説、言い伝えのみ、だったのかも。
そして、わずか、残った、塚が、昭和の初め、撤去されてしまったのかな。
本当に、大きな、塚だったら、さすがに、今も、残っている気もする。
貞静学園の南側を通っている、細い道を、東へ。
しばらくすると、突き当たりに、林泉寺
(2011年5月記)