丸の内線本郷三丁目駅(東京大学 赤門)

東京大学 赤門

しばらく、歩いていくと、通りの、東側に、東京大学の赤門。
東京大学、といえば、この、赤門、なのだが、実は、江戸時代、この場所に、あった、加賀藩上屋敷の、門だったらしい。
加賀藩上屋敷は、なくなり、東京大学になっても、赤門だけは、残ったのだ。
とすると、本来、赤門は、東京大学と、関係ないことになる。
もっとも、東京大学が開校して以来の、門でも、あるわけだから、東京大学の、象徴でも、いいのだけど。
そんな、東京大学の赤門、明治時代の、三四郎も、この、門を、通って、大学の敷地に、入ったのだろう、と思ったのだが、実際は、北側、弥生門から。
三四郎の住んでいるところが、東京大学の、北側、ということと、訪ねて行った、先輩の野々宮が、弥生門近くの、工学部に、いた、ということだろう。
でも、普通、初めてで、土地勘がなければ、有名な、赤門でも、いいはず。
ひょっとしたら、東京の街は、初めてにしても、東京大学には、何度か、すでに、足を、運んでいて、土地勘は、あったのかな。
そして、東京大学に入ると、穴倉があって、そこに、先輩、野々宮が、籠って、実験に、没頭していたわけだ。
(2011年6月記)