丸の内線本郷三丁目駅(本郷七丁目 本郷通り)

本郷七丁目 本郷通り

穴倉の急斜面を、這い上がるようにして、再び、大学構内。
西へ、歩いて、東京大学の外、南北に伸びる、大通り、本郷通りに出る。
その、本郷通りの北、少し歩いた先、東側に、入ったところに、三四郎は、住んでいたらしい。
三四郎、里見美禰子、彼らだけではなく、その他も、近場に、暮らしている。
例外は、野々宮で、今の、大久保駅近くに、暮らしていたようだ。
ただ、あまりに、辺鄙で、寂しい場所なので、結局、近場の、下宿に、舞い戻ってきている。
職住近在、そういう時代だったのかな。
ところで、当時、さらに、北側、団子坂で、菊人形展が、毎年、秋に、開催されていて、かなり、賑わっていた、ということだ。
三四郎」に登場する、面々も、見物に、出掛けている。
その途中、光源寺に、差し掛かったとき、乞食がいて、同行した、広田先生、というのが、座っている場所が、よくないと、評するのだが、その、何気ない、話が、なぜか、執拗に、引き継がれていく。
おそらく、広田先生、座っている地面の「場所」、ではなく、社会の中の「場所」、ポジション、のことを、暗に、言ってみたのかもしれない。
つまり、広田先生自身も含めて、一同、皆、乞食みたいなものだ、ということ。
だから、ぎくりとするほどではないけど、その話、思い当たる、それぞれの心の中に、何度も、重く、響きあい、話が、続いていったのだろう。
(2011年6月記)