丸の内線本郷三丁目駅(本郷三丁目 本郷中央教会)

本郷三丁目 本郷中央教会

本郷通り、今度は、南へ。
春日通りとの、交差点に、戻る。
そういえば、菊人形見物で、もう一つ、話題があった。
雑踏の中で、迷子になっていた、女の子。
それを受けて、三四郎、里見美禰子が、二人きりになったとき、美禰子が、迷子の、英訳を、聞く。
三四郎、答えらえられないでいると、美禰子は、「ストレイシープ(迷羊)」、と答えた。さらには、二人とも、同じく、「ストレイシープ(迷羊)」だ、とも。いったい、どういう、意味があるのだろうか。
ストレイシープ(迷羊)」、というのは、聖書に、出てくる。
ある、羊飼いのもと、百匹の羊がいたとして、そのうちの、一匹が、迷ってしまったとする。すると、その、羊飼い、残り、九十九匹を、放って置いても、迷った、たった、一匹の、羊を、探し求める、という話。その、一匹が、「ストレイシープ(迷羊)」だ。
そして、その、捜し求める、羊飼いこそ、「神」、なのだ。
でも、迷った、というのは、どういうことなのだろう。
それは、「ストレイシープ(迷羊)」の、前の条にある。
すなわち、「罪への誘惑」。
(迷い)、つまづいてしまえば、永遠の、火の地獄に、投げ込まれるのだ。
絶対的、かつ、あまりに、苛烈な運命、それゆえ、羊飼い、「神」は、ストレイシープ(迷羊)、を、なんとか、探し出そうとする、というわけ。
しばらくすると、春日通りとの、交差点。
東に曲がり、そのまま、東へ。
程なくして、春日通りの、南側に、本郷中央教会。
夏目漱石が、東京大学に、通っていたころ、建てられたので、「三四郎」に登場する、里見美禰子の通う、教会、というのは、この、本郷中央教会、に違いない。
三四郎と、里見美禰子が、最後に、会ったのは、この、教会の前。しかも、クリスマスの間近。結局、里見美禰子は、結婚してしまうのだ。
数ヶ月前、穴の底、三四郎池の畔から、見上げた先、森の中に、里見美禰子が、いたとき、三四郎にとって、彼女の姿、なんと、神々しく見えたことだろう。
だが、その、神々しさ、実は、業火に燃える、地獄と、引き替えの、背徳、誘惑、だったとは。
三四郎」、そんな、落ち、なのかな。
さあ、帰ろう。こうして、本郷中央教会、見ていると、扉を開けて、里見美禰子が、出てくるような、気がする。
春日通りを、西へ。
本郷三丁目駅を目指して、歩き出す。
(2011年6月記)