半蔵門線清澄白河駅(清澄公園の草原)

清澄公園の草原

清澄庭園を出て、その西隣の、清澄公園へ。
もともと、清澄公園も、清澄庭園に、含まれていたらしい。
東半分は、公園、ということにして、一般に公開したのだろう。
ところで、ふたたび、清澄庭園の、成り立ちの話。
関宿藩下屋敷になる前、この場所が、紀伊国屋文左衛門の、屋敷ではなかったとすると、いったい、なんだったのだろうか。
当時、すでに、西側には、仙台藩蔵屋敷、北側には、本誓寺、北東側には、霊巌寺が、あったようだ。
さらに言えば、南側には、東西に、仙台堀川
では、それらに、囲まれた、この、場所には、何が、あったのか、と言っても、もう、わからない。
昔のことなので、仕方のないことだ。
ちなみに、清澄、という地名、入植者の名前、清住弥兵衛、から、ということらしい。
深川が、深川八郎右衛門から、きているのと、同じだ。
こちらも、干拓されて、初めて、歴史が、始まったのだろう。
清澄公園を、後にして、東へ、向かう。
(2011年10月記)