中央線阿佐ヶ谷駅(阿佐ヶ谷北三丁目 慈恩寺)

阿佐ヶ谷北三丁目 慈恩寺

桃園川の流路跡に戻り、再び、西へ、歩く。
さっき、通った、松山通りについてだが、大昔、鎌倉街道だったころ、それなりに、幹線道路として、賑わっていたのかもしれない。
時代を経て、いつしか、忘れ去られ、おそらく、江戸時代は、畑の中の、長閑な、道になっていたのだろう。
松山通りとなったのは、その頃かな。
さらに、時代が、下り、阿佐ヶ谷駅が出来ると、今度は、通りに、商店が、連なるようになる。
そして、まっすぐ、伸びる、中杉通りが、開通すると、そちらが、幹線道路になり、松山通りの方は、いよいよ、商店街へと、変わっていった、ということだろうか。
などと、考えながら、桃園川の跡地を、辿って、歩いていくと、しばらくして、北側に、慈恩寺
創建は、わからないけど、鎌倉街道からは、離れているので、それほど、古くはない、と思える。
おそらく、江戸時代、だろうか。
当時は、すぐ近くを、桃園川が、流れていて、風光明媚だったに違いない。
また、桃園川跡に、戻り、西へ。
(2012年4月記)