中央線荻窪駅(天沼弁天池公園)

天沼弁天池公園

おそらく、江戸時代に入って、天沼が、徐々に、開発され、川筋だけが、東南方向に、伸びるような、感じで、残ったのだろう。
その後、明治時代から、時代は、下って、いつかは、わからないが、東南方向に、伸びる、川筋は、埋められ、南に、まっすぐ、最短距離で、用水に、流れ込む、川筋が、新しく、開削されたに、違いない。
ひょっとすると、それは、一帯が、宅地化された、時期、なのかな。
一帯が、宅地化されたのは、昭和に、入ってから。そして、高度成長期に、桃園川は、消滅している。
そんな、昔のことに、思いを、巡らせているうちに、住宅地の中、北へ、進んで行くと、広い、公園。
天沼弁天池公園だ。
ここで、妙なことに気付く。
天沼、ではなくて、弁天池。
おそらく、江戸時代から、始まった、開発により、天沼は、消滅し、わずかに、水源として、弁天池を、残すのみに、なったのだろう。
さっそく、天沼弁天池公園に、入ってみる。
(2012年4月記)